マゾヒズム論

芸術と恋

恋をすると人はその衣装を脱がされ、ほとんど裸に近い状態となる。青い空を流れる白い雲、道端に咲いている花の香り、小鳥たちの黄色い歌声、現実はそれ以前とは比較出来ないほど彼に接近し、それまで見逃していた多くのものを彼は感じられるようになる。そ…

オブジェ化した私

マゾヒストは当然マゾヒストを自分の内側に飼っているが同時にサディストをも内包している。彼女はその身を彼に鞭打たせるが、その事を選択したのは彼女自身であり、故に彼女は彼に鞭打たれる前に彼女自身を彼女自身で鞭打っているのだ。彼女を鞭打つ彼女は…

復活したヴィーナス

書くという事は殺すという事である。マゾッホは毛皮を着たヴィーナス、ワンダという一人の女性を描き切る事で彼女を殺害した。そうして彼は彼女から自由になった。マゾッホはワンダを殺すのと同時に古い自分自身を殺害したのだ。その苦しい脱皮を経て新しい…

七月十五日の日記「毛皮を着たヴィーナスの構成」

小説毛皮を着たヴィーナスはマゾヒズムの願望を密かに抱く主人公が同じ性癖を持つ友人ゼヴェリーンから彼のめくるめく体験を綴った体験記を見せて貰い、奴隷と残酷な女主人の物語はこの体験記に沿って進行していく。毛皮を着たヴィーナスの女主人様に裸で跪…

七月十四日の日記「マゾッホの毛皮」

マゾッホと谷崎潤一郎の作品を比較すると、女性崇拝という点に於いてはもちろん共通しているが、谷崎の方はマゾッホよりも女性の肉体そのものに対するフェティッシュな欲望が顕著に目立つ。一方マゾッホが描写する女性の肉体は意外な程あっさりしていて、谷…

七月十三日の日記「マゾヒズムとリアリズム」

マゾヒストの書く小説は異様な熱気を孕む事が多い。マゾッホの毛皮を着たヴィーナスを読みながらそれを感じている。それは谷崎潤一郎の小説を読んだときに感じた熱気と同質のものである。その作品の熱気はそのまま作者自身の熱気なのだろう。牡牛のような興…

7月11日の日記「死刑囚にして死刑執行人」

音楽であれ文芸であれ絵画であれ、凡そ人間が芸術作品を鑑賞したいという本源的動機は一つに決まっていて、それは美しいものを前にして我という衣装を脱ぎ去り裸になりたいという願望である。自分自身を忘れて何もかも忘れて彼は今この瞬間に酔ってしまいた…

7月10日の日記「マゾヒストの芸術家」

朝方は相変わらず曇っていたが午後になると晴れ始めた。久しぶりに相見えた太陽に心は自然と高揚し、額や鼻の先をその光と熱に晒しながらいつもより余計に街の中を街の外を歩き回った。 マゾヒズムには大別して二種類あり、衣装を剥ぎ取って欲しいと願望する…

7月9日の日記「異端のマゾヒズム」

昨日よりはましになったとはいえ今日も肌寒い一日だった。このまま永久に夏は来ないのじゃないか、そのまま地球は氷河期に入っていくのではないか、そんな下らない妄想をするのは久しくまともな太陽を拝謁していないせいか。とはいえ最近貰った季節外れの秋…

七月八日の日記「正統のマゾヒズム」

朝は7月とは思えない肌寒さ。土の中の蝉もきっと凍えていた事だろう。 マゾッホの毛皮を着たヴィーナスを読みながらマゾヒズムについて考える。 マゾヒズムという概念にも正統と異端があって、正統なマゾヒズムというのは当然の事ながらマゾヒズムという言…