人形論

鏡に映るオブジェ、物としての肉体をベルメールの人形たちは思い出させてくれる。それは希臘の壊れた彫刻も同じである。もはや何の意味も持たない語ることが不可能な物そのもの。しかしベルメールの人形からは希臘の壊れた彫刻にはない仄か暗いエロティック…

戯れにひげ剃り用の白いムースをずっと無くなるまで出し続ける。ぷしゅぷしゅと時折掠れたガスの抜ける音を立てながらマシュマロ状の塊が既に積み重なり融合して異様な形を形成しているその集合体のもとへと静かに垂れ落ちる。蒼い蛍光灯の光の下、幾つもの…

シュルレアリスム(超現実主義)と人形というと私にはドイツの人形作家ハンス・ベルメールの人形が忽ちに思い出される。しかし人の形を模して造られた物を人形と呼称するならばベルメールの人形を単純に人形と言い表すことには少なからず違和感がある。何故…

タナトス

生物の中にある物への意志。タナトスと呼んでもいいだろう。タナトスが人間特有のものだと思われるのは人間がそのタナトスを認識するからであり他の如何なる生物にもタナトスは存在している。タナトスを持たずエロスしか持たないのなら、つまり物への死への…

鏡の中の人形

鏡を見る。そこに在るのは「私」でもなく「私」の肉体でもなく「私」と「私」の肉体の反映物、「私」と「私」の肉体に従順な人形である。何処へ探しにいかなくても人形はそこに居たのだ。今まで私は鏡を見たときにいつも奇妙な違和感、そこに私ではない誰か…

鏡としての人形

人形願望(或いはオブジェへの意志)。それは誰かの人形になりたいという「私」の意味付けのための隷属の願望とは別に、私の中の物の部分の純粋な反映への意志、私の死への意志願望である。人形は物であるからその本質的に誰のものでもあり誰のものでもない…

私の黒い人形

純粋な人間ほど社会の色に染まりやすい。彼等はその純粋さ故に素朴に素直に何の疑いも無く社会を信用し、いつの間にか社会そのものになっている。真っ白ほど汚れ易いものはないのだ。彼が人間であればあるほど彼を人形にするのは易しくなる。既に別な色に染…

芸術と教育論

教育というものが人間を人形にする為の機関であると先日ここに書いた。それに対して逆に人形を人間に戻す機関というものが存在する。それが芸術である。音楽であれ、絵画であれ、文学であれ、その芸術作品と接している時間、彼は衣装を脱がされ裸の元の姿に…

少年と人形

人間が社会化されるという事は人間が人形化されるという事である。生まれたままの姿で、言い換えるならありのままの姿で大人になる者はいない。大人になるとは人形になるという事である。では、一体どのようにして社会は一人の人間を一体の人間にするのだろ…

人形の殺人と自殺

例えばスーパーへと買い物に行く。肉や野菜を籠に入れてレジへと並ぶ。酷い長蛇の列の最後尾。店員の動作が非常に遅い。並んでいる人々は皆苛々が募ってまるで悪鬼のような顔をしている。やっと自分の番が来る。しかしやっぱり店員は遅い。のろのろしている…

人形に対する考察

人形とは一体何か。最近になってそんな事を考え始めたのはこの日記にぬいぐるみの事について書いた事がきっかけなのだが、人形というものはぬいぐるみほど幼い私の近くには居なかった。むしろ私は人形を嫌悪しまた恐れてさえもいた。それは私の早過ぎるほど…

裂けたぬいぐるみ

私は一匹の猫を飼っている。茶色や黒色がごちゃまぜにしかし絶妙な統一感を以って配されているその毛並み、所謂サビ猫と言われている猫の雌だ。一応、名前のようなものが付けられているが私がその猫に向かってその名前のようなものを呼ぶ事はほとんど無い。…