詩と小説

去年の夏の蝉の抜け殻が残った木の肌 現実に焼き付いてしまった写真 紫陽花は目を覚ます枯れ朽ちた記憶を引き摺り 螺旋を描く羽虫たち 白い空には朦朧と明日の火葬の煙が流れて 崩壊を奏でるオルゴール 息を止めたときにだけ吸うことの出来る空気 沈んだ貝の…

幽霊

餓死した団子虫と 微睡む羊歯の上に 跳ね落ちる雨の音は 寂しい残り火のように 靄に包まれた夜を 決して乾くことのない 髪の毛のように 引き摺り歩いているのは 朽ちた洋館を抜け出した 顔の見えない幽霊 あるはずもない 月の見える丘を探して 枯れたマーガ…

本当の海は太陽の熱にも月の光にも汚されていない純粋な海は焼けるほど冷たくそして見えない。氷はその本当の海に限りなく近い。見えなければ完璧だろう。その透明な氷、真空が片時も離れず私の周りを覆っている。初めて目にしたものを親だと思い込む家鴨の…

火事のような夕焼けに黒い影となった遠くの山々荷馬車を引く痩せた驢馬が通り過ぎて木枯らしだけが残った そんな枯野で独り星々を待つ深く土の中で眠る死者達と共に 冷えてゆく身体青ざめた花が歌う掠れた声の鎮魂歌あらゆる感情あらゆる思い出白い吐息を散…

花から花へと青い羽根の蝶の群れが黄金の鱗粉を振り撒いて遥か地平線の山々が見渡せる広々とした草原の上を舞っているにぎやかな白い羊たちはみんなあの空の上へ行ってしまった深々と草々の波に埋まって仰向けに横たわるわたしは赤い傷だらけの両腕を平らに…

その青い花々、あるものは高くあるものは低く、幾層にも高低差をつけて群れ咲いているその青い花々は一輪一輪が真上から覗き込んだ視界の見えない底から湧き上がってくる青く小さな水の塊のようで、まるで私は海そのものが湧き上がってくるその亀裂の深淵を…

枯れた野に 寂しい鴉が一羽居て 捨て鉢に冷えた土を掘っている 虫を探しているのか それとも違うものを探しているのか わからない ただ乏しい光のなかで 影を喪った俺の影のようなお前が 虚しい土塊を放るたび 膿みきった白い冬の空に 黒い花火が打ち上がる

氷の下のマーメイド

白い靄のような鏡の曇りが晴れて淡い月光の射す仄か暗い浴室を背に裸の少女が立っている肩まで伸びた黒髪は浜辺の海草のように濡れて古い写真の中の人間のようにまるで微動だにせず長い睫毛の下の円い瞳は遥か彼方を見つめている氷の下のマーメイドまだあど…

今年が終わる 来年はもっと遠くへ もっと酷く寒いところ オフィーリアの流れ着いた 真っ黒な海に臨む岬へ

海は恐ろしい。たとえその深奥の秘密の中へ潜らなくてもたたずっと見詰めているというだけで混沌と無限に形を変えていくその波は見る者、彼の「私」をその深淵の青いはらわたの中へと丸ごと飲み込んでしまう。絶えず「海」と叫んでいなくてはいられない不安…

人形

私は人形ガラスの瞳は何も見ず空洞の耳は何も聞かない虚ろな私は人形私は何も考えず何も感じないただ永久に世界を反映する何者も裁くことなく何者にも私は裁かれる小さな虫でさえ私を噛んで自由に私を弄ぶことが出来る反撃の手足を私は持たないこの白く細過…

寒椿

轟々と鳴る北風が乱暴に次のページを捲る少しずつしかし急速に薄れゆく景色喪われていく言葉木々は葉を落とされ落ちた葉は干からびて蝶たちの黒い棺を隠すかつての王太陽も力尽き今は真昼の月と化して瞑想的な観念的な白い光で世界を包むばかり知らぬ間にし…

藤空に雪虫舞いし明けの庭蕾混じりに椿群れ咲く

窓を開けて 蒼い夜 凍える風に抗い 朱に染まる二つの頬 その熱い血潮 その火炎だけを私は崇拝する かつて溢れ返る林檎で楽園は燃えていた

金色(こんじき)の 木の葉舞い降る 風の森 時の岸辺へ 帽子流れて

夜は夜などではなく それは真昼の暗い影 宇宙は暗黒などではなく それは太陽の暗い影 電灯も消され 鎧戸の閉め切られた 密室の完全な暗さ それすらも影なんだ いったい何の? その光のない密室を 見つめる者の眼差しの光 彼の意識が暗い影をつくる 考えても…

風もなく 鳥降る庭の 葉はみやび 空の彼方に 雲は黒くも

月もなく 星もなく 数えきれない蝙蝠が さかしまに眠り込んで ぶら下がっている夜の空 輪廻の悪夢にうなされる 苔に覆われた老木たちの 甘く苦しい湿った嘆息や 足の裏に砕かれる 枯葉の甲高い悲鳴に混じって 草間から響く鈴虫たちの声が いにしえの朝から流…

星もなく 裸木の並ぶ 夜の道 古代の霊が 鈴音振り撒き

街灯に 羽虫が煙る 秋の宵 枯れ葉踏む音 道に響いて

椿

あらゆる生命の 夥しい血を吸って 純白の君は天に生まれる 花のなかの花、雪よ 今日もまた君への純愛が 青い葉のあいだに咲いた 彼ら殉教者の敬虔な唇は 慈愛に満ちた眼差しではなく 身を切り裂く冷たい風を求めて 炎、ただ極点の炎だけが 雪の沈黙にくちづ…

来光は 雲に隠され 暗い朝 幽かに響く 蟋蟀の声

早咲きの 椿の花は 色づいて 霞の空も 雪の白さに

澄み渡る 無辺の夜に 月も冴え 無人列車の 笛が高鳴る

北風に 狗尾草は そよめいて 夕月の下 帰る鳥たち

木漏れ日の 光みなぎる 切り株に 風が残した どんぐりの影

木枯らしに ながれる綿毛 たんぽぽの 夢はさまよう 灰の沙漠に

うろこ雲 黄金にわれて よみがえる すすきの丘に 鶺鴒の歌

眠る木に 鳴く虫も絶え 更ける夜 月華の琴音は 氷に映えて

秋の池

高い空の雲間から 衰えた陽の光が淡く 藻の深い古池へと降り まどかなる蓮の葉を 宴のあとの皿のように さみしくきらめかせ 微風にそよぐ水面には いにしえの天女たちが やわい裳裾を水脈ひいて 遥かなる遠い笑い声が 水底に微睡む鯉たちを やさしくうつつへ…