エロス、生への意志は生きている者誰もが持っている。だから人が敢えてそれをエロスと言葉にして言うときそれはエロスの過剰なのだ。生命、あらゆる生命は燃えいる。その炎を殊更炎と言うときそれは炎の過剰なのだ。そしてその過剰は反エロス、タナトス、死物の世界との接近によって形成される。梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」は有名だがエロスの下にはタナトスが埋まってる、太陽は暗黒の真空を吸収して燃えて過剰なのだ。だからエロティックなもの、花は生の意志の体現であり同時に死の意志の反映、エロスとタナトス、炎の太陽と蒼い石の月のと間に生まれた子供なのだと言える。雪の結晶はその最も純粋で原始的な花の一つである。透明で形なく死(物の世界)に近いものほど必然的にエロティックで美しく、しかし同時にそれは死(物の世界)の意志の反映である。奇跡みたいじゃないか。死、何も認識しない純粋な物があの美しい花々を意志している。死もまたその死(物の世界の終わり)によって花を咲かせ、生の意志を反映しているのである。色の究極には空があり空の究極には色がある。くるくるとやはり回っている。宇宙全体がエンドレス・ワルツを踊っている。