精神と人が言うとき男であれ女であれその精神の持ち主は人間(厳密に言えば大人)だろう。猫の精神とか蜻蛉の精神とか人間以外の生物に対して人はその言葉を使わない。魂という言葉なら彼らにも使う。そのことからも精神と魂が違うのだということが伺われる。実際、精神と魂は全然異なるものなのだろう。
 精神という言葉が纏っている冷たい月の光のような響き、魂という言葉から聞こえてくるめらめらと燃える炎の音、太陽のにおい。まるで対局にあるその二つ。精神は観念、人工に属し魂は肉体、自然に属するのだ。そして人は自らの魂を自覚したときその精神を獲得する。自らの肉体、自然を客観的に見つめる非肉体的、非自然的なまなざし。それこそあの月から降り注ぐ精神の光である。しかしそれは同時に凍り付いた太陽(生命)の光なのだ。客観を手に入れる代わりに主観を失う。無限であり無敵である観念の翼が生えた代償にその肉体、自然を失う。感情を失う。熱を失う。形を失う。自らの生を失う。だから精神はいつもその実存、血と肉、魂に飢えている。孤城に住む吸血鬼。満月に吠える狼男。或いは我の尾を我で噛む白い蛇。

 彼は神経症を挫折した芸術作品とみなし、神経症患者を挫折した芸術家とみなしていた。神経症は方向をあやまった想像力とエネルギーの発露である、と彼は書いていた。花や実のかわりにわたしは強迫観念と不安を結実したのだった。

      ーー原麗衣訳 「アナイス・ニンの日記」よりーー

 

 回路を探さなくては。私のエネルギーを私の外側へと放出する回路を。強迫観念も不安も憂鬱も、自分自身を苛み蝕む苦しめるあらゆる暗い負の情動は歌いたいという意志を持ちながら歌い方を知らない小鳥たちが翼を折る悲しい歌なんだ。かつては宗教や伝統がその歌い方を教えてくれた。しかしそれも今はない。だからその歌い方を自分で探し出し見つけ出さなくちゃならない(本、映画、人間、自然、あらゆるものはそのヒントを与えてくれる)。アナイスは日記という方法によって彼女の歌い方を発見し失われた本当の彼女の歌、翼をその手に取り戻したんだ。そしてその歌い方の模索という様式を喪失した現代人の自由の暗い海的状況はそのまま小説という芸術が置かれている状況に置き換えることが可能、全く同じなんだ。

 その青い花々、あるものは高くあるものは低く、幾層にも高低差をつけて群れ咲いているその青い花々は一輪一輪が真上から覗き込んだ視界の見えない底から湧き上がってくる青く小さな水の塊のようで、まるで私は海そのものが湧き上がってくるその亀裂の深淵を覗き込んでいるような感覚にひとり陥った。するとその妖しい水の塊たちは次第にくるくると螺旋を描き始め、そう、それは秘密の地下へと降りていく階段のように私をその不可能な裂け目へと誘うのだった。

 ゴッホが弟テオにその発見を語った真の宗教「自らが花のように生きた日本人」言い換えるならそれは「私」自らが美しい形、花や人魚(艶やかな着物は花と人と魚の融合を思わせる)になろうという思想を生きた人々である。それはまた同時にゴッホ、彼が篤く信仰した純粋な本来のキリスト教であり、自らが永遠の形、十字架(認識と物が一つに溶け合った物)となることで人(認識の世界)と神(物の世界)ととの懸け橋となったイエスの面影(ゴッホはイエスを人類最初の芸術家と呼んだ)を浮世絵を通してかつての日本人たちに彼は見ていたのだろう。自然、生命本来の態度(純然たる形への意志)であるその姿に立ち返るため、画架や絵具箱を抱えて彼は黄金の小麦畑へ燦燦と旅立っていった。しかしそれはひどく危険なことなのだ。ひまわりを描く人間がそのひまわりになったとき、ひまわりを描く「私」は消滅してしまうのだから。一方、谷崎、彼は人魚を捕獲し人魚を描こうとしたが自らが人魚になろうとは決してしなかった。だからゴッホは死に谷崎は生きた。

 

若さというもの

 若さとは形への意志、その強さであって言い換えるなら「私」が何者でもない(形がない)ことの深く痛切な自覚である。だから人はその形を手に入れたと「私」が何者かになったと自覚ないし誤解したときからその若さを失う。要するに老い始める。小林秀雄が老いてなお美しい樹というものについて語っていたが樹は老いることがないのだ。樹、彼は生きている限りその枝や幹を伸ばし続け、つまり成長している。その若々しい緑の葉を次々と手のように広げて何かを掴もうとしている。また春になると絢爛と花々を咲かせて何者かになろうとしている。彼は樹は永遠に認識しようとし形への意志を決して止めない。それは彼がその遥か頭上に輝いている不可能、太陽(花)と青い空(葉々)を追いかけているからだ。彼は彼がその太陽と青い空、本当の彼自身になるまで成長することをやめないのである。だから樹は老いない。永遠に若い。ソクラテス無知の知を発見した。それは「私」が何者でもないことを知ることである。そのソクラテスは死刑を目前とした獄中で琴の練習をしていた。七十歳で死んだ彼もまた永遠に若く青い樹だったのだ。

枯れた野に

寂しい鴉が一羽居て

捨て鉢に冷えた土を掘っている

虫を探しているのか

それとも違うものを探しているのか

わからない

ただ乏しい光のなかで

影を喪った俺の影のようなお前が

虚しい土塊を放るたび

膿みきった白い冬の空に

黒い花火が打ち上がる