彼は神経症を挫折した芸術作品とみなし、神経症患者を挫折した芸術家とみなしていた。神経症は方向をあやまった想像力とエネルギーの発露である、と彼は書いていた。花や実のかわりにわたしは強迫観念と不安を結実したのだった。

      ーー原麗衣訳 「アナイス・ニンの日記」よりーー

 

 回路を探さなくては。私のエネルギーを私の外側へと放出する回路を。強迫観念も不安も憂鬱も、自分自身を苛み蝕む苦しめるあらゆる暗い負の情動は歌いたいという意志を持ちながら歌い方を知らない小鳥たちが翼を折る悲しい歌なんだ。かつては宗教や伝統がその歌い方を教えてくれた。しかしそれも今はない。だからその歌い方を自分で探し出し見つけ出さなくちゃならない(本、映画、人間、自然、あらゆるものはそのヒントを与えてくれる)。アナイスは日記という方法によって彼女の歌い方を発見し失われた本当の彼女の歌、翼をその手に取り戻したんだ。そしてその歌い方の模索という様式を喪失した現代人の自由の暗い海的状況はそのまま小説という芸術が置かれている状況に置き換えることが可能、全く同じなんだ。