2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

血と汗の言葉

社会的な地位と思考の関係。往々にして、その人間の社会的な地位が高まる度合いに比例して彼の思考に占める観念の領域は拡大し、反対に野生の領域は減退する。雲を突く高層ビルの頂きで高級な革張りの社長椅子にふんぞり返っている彼は観念的思考の持ち主で…

観念の思考と野性の思考

ものを書く人には二種類居て、それは知っている物事を書こうとする人と物事を知る為に書こうとする人である。前者は頭の中で既に完了している思考をただ紙の上に書き写すだけである。一方、後者はというと書き始める段階では何も無い。真っ白だ。それは言い…

黒い蠢き

蝉が落ちていた。さかさまにひっくり返り空を仰いでいる。玄関を出てすぐの白い石畳の上だ。良く見ると手足が動いている。ゆっくりとゆっくりと。片手で掴み取って私はその蝉を白い木の幹へと張り付けた。その蝉が木の上を目指してゆっくりと動き始める。私…

宿命論

煙草を買う為に家から歩いて近所のコンビニへと行く。十分少々のその時間の内に私は道で十匹を超える蝉の死骸を目にした。空へと両手両足を伸ばしたまま枯死している彼、滅茶苦茶に踏み潰されてコンクリートの地面と殆ど一体化している彼。もう既に八月も後…

私の黒い人形

純粋な人間ほど社会の色に染まりやすい。彼等はその純粋さ故に素朴に素直に何の疑いも無く社会を信用し、いつの間にか社会そのものになっている。真っ白ほど汚れ易いものはないのだ。彼が人間であればあるほど彼を人形にするのは易しくなる。既に別な色に染…

私の知らない海

風が吹き荒れている。近所で改装中のビル、その外壁全域を覆い包む灰色のシートが強い風を受けてぱたぱたとまるで港に停泊している巨大な船の帆のようにはためいている。「出航の朝だ」私は呟く。何処へ?私の知らない海へ旅立つのだ。昨日の朝、人差し指の…

幽体離脱

既に夜は明けていた。私は駅の改札を潜り抜けていた。朝も夜もない駅の構内。掲示板には先々週に終わった祭りのポスターがまだ貼られている。私が行かなかった祭りのポスターだ。構内には誰も居ない。私は階段を昇り始める。一段、一段、駅のホームへと上が…

聖雨

※<R18>性的な表現があります。18歳未満の方は移動ください。 関東にまた台風が近付いている。大粒の激しい雨が降ったかと思えば間も無くしてそれが嘘のように晴れ渡る。性急で気紛れな大空の交響曲。その出鱈目な指揮の動きに合わせて大勢の蝉たちが鳴い…

窓の外のひまわり

酷い憂鬱と倦怠に包まれている。憂鬱がみしみしと身体を圧迫する。一歩たりとも動けない。硬い床の上に横たわっている。蝉の声が遠くに聞こえる。また更にみしみと身体が圧迫される。衝動的に自分の身体を引き裂いてしまいそうだ。そうしたら何かが出ていく…

中村光夫の文學論と三島由紀夫

芸術とは教育の敵であり、芸術家とは社会の敵である。私は幼い頃から私はその本質を無意識的に朦朧と感じ取ってはいた。しかしそれを明確な言葉として意識するようになったのは最近の事であって、中村光夫の文學論という本を読んでからの事である。 中村光夫…

芸術と教育論

教育というものが人間を人形にする為の機関であると先日ここに書いた。それに対して逆に人形を人間に戻す機関というものが存在する。それが芸術である。音楽であれ、絵画であれ、文学であれ、その芸術作品と接している時間、彼は衣装を脱がされ裸の元の姿に…

少年と人形

人間が社会化されるという事は人間が人形化されるという事である。生まれたままの姿で、言い換えるならありのままの姿で大人になる者はいない。大人になるとは人形になるという事である。では、一体どのようにして社会は一人の人間を一体の人間にするのだろ…

人形の殺人と自殺

例えばスーパーへと買い物に行く。肉や野菜を籠に入れてレジへと並ぶ。酷い長蛇の列の最後尾。店員の動作が非常に遅い。並んでいる人々は皆苛々が募ってまるで悪鬼のような顔をしている。やっと自分の番が来る。しかしやっぱり店員は遅い。のろのろしている…

人形に対する考察

人形とは一体何か。最近になってそんな事を考え始めたのはこの日記にぬいぐるみの事について書いた事がきっかけなのだが、人形というものはぬいぐるみほど幼い私の近くには居なかった。むしろ私は人形を嫌悪しまた恐れてさえもいた。それは私の早過ぎるほど…