書評

谷崎潤一郎「人魚の嘆き」Ⅱ

神秘の海はまた同時に死の海である。人魚と出会うには酸素ボンベ無しの素潜り、裸でその冷たい海に潜らなくてはならない。生半可な体力では人魚に会うどころか途中で力尽き鮫や蛸の餌食、最終的に藻の絡まる海底の骸骨となるだけである。数えることの出来な…

稲葉真弓「エンドレス・ワルツ」Ⅲ

阿部薫のサックスにも鈴木いづみの存在にも両方ともに言えることはそれが決してBGMやエキストラ、背景にはならないということだ。両方とも完全に主人公なのである。死の氷に包まれた極北ではそのようにして過剰に存在していなければ(エロスに溢れていなけれ…

稲葉真弓「エンドレス・ワルツ」Ⅱ

凍らせたい(形を作りたい)男と氷になりたい(形になりたい)女。稲葉真弓は「エンドレス・ワルツ」でその二人、薫といづみに分裂したエロス(形、物への意志を飲み込んだ生へ)の意志を小説という形で再び結びつけ凍らせた(言葉にした)。印象的で且つ象…

稲葉真弓「エンドレス・ワルツ」

アンナ・カヴァンは「氷」であらゆる生命の炎を凍らせて物と化してしまう氷の脅威を描こうとしたがその恐るべき氷の発生源のような男がいる。顔を歪めて背中を大きく仰け反り彼が吹き鳴らす破壊そのものの音はまさに氷の息吹で触れるものすべてから熱を奪い…

アンナ・カヴァンの「氷」

襲来してくる物(死)の意志と「私」の戦いということを考えるとき、私は少し以前に読んだアンナ・カヴァンの小説「氷」を思い出さずにはいられない。世界の何処へ逃げても追い掛けてきて冷酷に容赦なく人々を凍らせてしまう「氷」。主人公の「私」はその絶…

中村光夫の文學論と三島由紀夫

芸術とは教育の敵であり、芸術家とは社会の敵である。私は幼い頃から私はその本質を無意識的に朦朧と感じ取ってはいた。しかしそれを明確な言葉として意識するようになったのは最近の事であって、中村光夫の文學論という本を読んでからの事である。 中村光夫…

芸術と恋

恋をすると人はその衣装を脱がされ、ほとんど裸に近い状態となる。青い空を流れる白い雲、道端に咲いている花の香り、小鳥たちの黄色い歌声、現実はそれ以前とは比較出来ないほど彼に接近し、それまで見逃していた多くのものを彼は感じられるようになる。そ…

オブジェ化した私

マゾヒストは当然マゾヒストを自分の内側に飼っているが同時にサディストをも内包している。彼女はその身を彼に鞭打たせるが、その事を選択したのは彼女自身であり、故に彼女は彼に鞭打たれる前に彼女自身を彼女自身で鞭打っているのだ。彼女を鞭打つ彼女は…

復活したヴィーナス

書くという事は殺すという事である。マゾッホは毛皮を着たヴィーナス、ワンダという一人の女性を描き切る事で彼女を殺害した。そうして彼は彼女から自由になった。マゾッホはワンダを殺すのと同時に古い自分自身を殺害したのだ。その苦しい脱皮を経て新しい…

七月十五日の日記「毛皮を着たヴィーナスの構成」

小説毛皮を着たヴィーナスはマゾヒズムの願望を密かに抱く主人公が同じ性癖を持つ友人ゼヴェリーンから彼のめくるめく体験を綴った体験記を見せて貰い、奴隷と残酷な女主人の物語はこの体験記に沿って進行していく。毛皮を着たヴィーナスの女主人様に裸で跪…

七月十四日の日記「マゾッホの毛皮」

マゾッホと谷崎潤一郎の作品を比較すると、女性崇拝という点に於いてはもちろん共通しているが、谷崎の方はマゾッホよりも女性の肉体そのものに対するフェティッシュな欲望が顕著に目立つ。一方マゾッホが描写する女性の肉体は意外な程あっさりしていて、谷…

七月十三日の日記「マゾヒズムとリアリズム」

マゾヒストの書く小説は異様な熱気を孕む事が多い。マゾッホの毛皮を着たヴィーナスを読みながらそれを感じている。それは谷崎潤一郎の小説を読んだときに感じた熱気と同質のものである。その作品の熱気はそのまま作者自身の熱気なのだろう。牡牛のような興…

7月11日の日記「死刑囚にして死刑執行人」

音楽であれ文芸であれ絵画であれ、凡そ人間が芸術作品を鑑賞したいという本源的動機は一つに決まっていて、それは美しいものを前にして我という衣装を脱ぎ去り裸になりたいという願望である。自分自身を忘れて何もかも忘れて彼は今この瞬間に酔ってしまいた…

7月10日の日記「マゾヒストの芸術家」

朝方は相変わらず曇っていたが午後になると晴れ始めた。久しぶりに相見えた太陽に心は自然と高揚し、額や鼻の先をその光と熱に晒しながらいつもより余計に街の中を街の外を歩き回った。 マゾヒズムには大別して二種類あり、衣装を剥ぎ取って欲しいと願望する…

7月9日の日記「異端のマゾヒズム」

昨日よりはましになったとはいえ今日も肌寒い一日だった。このまま永久に夏は来ないのじゃないか、そのまま地球は氷河期に入っていくのではないか、そんな下らない妄想をするのは久しくまともな太陽を拝謁していないせいか。とはいえ最近貰った季節外れの秋…

七月八日の日記「正統のマゾヒズム」

朝は7月とは思えない肌寒さ。土の中の蝉もきっと凍えていた事だろう。 マゾッホの毛皮を着たヴィーナスを読みながらマゾヒズムについて考える。 マゾヒズムという概念にも正統と異端があって、正統なマゾヒズムというのは当然の事ながらマゾヒズムという言…