芸術と恋

 

 恋をすると人はその衣装を脱がされ、ほとんど裸に近い状態となる。青い空を流れる白い雲、道端に咲いている花の香り、小鳥たちの黄色い歌声、現実はそれ以前とは比較出来ないほど彼に接近し、それまで見逃していた多くのものを彼は感じられるようになる。それと同時に彼の心は酷い寒さに震えている。なぜなら彼は着ていた衣装を脱がされてしまったのだから。どうか服を着せて欲しい。彼に服を着せることの出来る相手は彼の服を脱がして裸にした相手、つまりは彼が恋をしている相手、ただその人だけのように思われる。

 ほとんど裸になってしまった人間、彼の心はどうしようもなく不安なのだ。それは恋の相手を中心に広がる剥き出しの自然と化した外の世界に対する不安と制御出来ない自分の感情という自分の内側の自然に対する不安とである。何とかこの自然に名前や形や秩序を与え、衣装を纏わせたい。でなければ自分自身が壊れてしまう。自分自身が完全に自然と化してしまう。その為には恋している相手にも自分に対して恋をしてもらって彼女も裸になってもらわねばならない。彼女にも服を脱いでもらい自分の名前が入ったラベル付きの服を着てもらわねばならない。そうすることで彼の不安は初めて治癒する。震えていた彼の心は愛の温もりに包まれ込む。しかし、同時にあれほど熱かった恋の炎は急速に冷めていく。何故なら彼は彼女とともに再び分厚い衣装を着始めてしまったから。彼の前にありのままの自然とは無限にかけ離れた音楽の鳴らない日常が訪れる。
 或いはそれが決して叶わない恋ならば彼はどうしようもない不安を抱え続けなければならない。裸のまま、自分が壊れるまで生きていなければならない。崖の淵へと追い詰められた彼の瞳に自殺の誘惑がちらつく。実際に死ぬ人もいるだろう。しかし、彼は詩を書き始める。絵を描き始める。ギターを弾き始める。永遠に手の届かない裸の彼女に言葉や色彩やメロディで衣装を纏わせるのだ。それは同時に彼自身の裸を包み込む衣装にもなる。こうして一つの芸術作品が生まれる。美しく優れた作品の下には彼と彼女、二人の亡き骸が静かに埋まっているのだ。
 完全な作品が出来上がったとしたら彼はもう二度と作品を作ろうとしないだろう。心穏やかに一個の形骸として衰滅していくだろう。花瓶に挿された赤い花が少しずつ色を失い朽ちていくように。しかし、それは幸福な事に大抵の場合成功しない。美の女神は復活し、その生贄である自分もまた同時に復活する。再び彼はペンや筆を取り始める。
 そうして何度も繰り返し行われる苦しい死と復活の儀式、それがそのまま彼の全芸術史の軌跡となっていく。
 恋、しかしその相手は生身の人間であるとは限らない。それは一枚の絵、一曲の音楽、ひとつの花、太陽や海に恋をする人もいるだろう。ひとつの国そのものに恋心を抱くこともある。ただその恋の相手に共通しているのはそれが美しいということである。
 一体、何を美しいと感じるか、それはその人間の性質、経験によって千差万別だ。しかし美しいものは決まって剥き出しの裸で現れる。たとえ何重幾重もの衣装を纏っていたとしてもその衣装を突き破って剥き出して来る裸体。生命の力そのものであるそんな裸体を目の前にしたとき、その熱と光が彼という観測者の衣装を焼き滅ぼす。そうして彼もまた裸になるのだ。

 

 美しいものとは、人がじっと注視できるものである。何時間ものあいだ、見つめていることのできる一基の彫像、一枚の絵。

ーー 田辺保訳 シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵」よりーー

 

 美しいものは見ていて疲れない。その或るものに対して瞳を開いていられる時間はその或るものの美しさに比例する。永遠に見ていて疲れないもの、それこそ本当に美しいものである。逆に美しくないものを見ているとすぐに疲れる。それは衣装であり観念なのだ。
 朝、目覚めたとき、彼はほとんど裸だ。もし疲れているとしたら昨日の衣装がまだ残って彼の周りを包んでいるのである。社会人としての一日は彼に夥しい衣装を纏わせる。一日が終わる頃になるとその重みで彼はほとんど動けなくなる。それが疲れというものだ。素直に眠る事はもとより、食べる事、酒を飲む事、意味の無いおしゃべり、テレビ、熱い風呂、セックス、そういったものとの接触によって彼は彼の衣装を脱ぎ、裸となる。彼は疲れから解放された気になる。それが本当の裸はさておき、自分が解放され裸になったと感じられるような物質、サーヴィスに現代のこの国は溢れ反っている。大抵の人間はその範囲内で満足するだろう。彼は鶏や豚のように飼い慣らされる。麻薬患者のように薬漬けにされる。そこからまた更に裸になりたいと願う人は稀だ。だから人々が美しいものを求める土壌はほとんど存在しない。本当の恋が発生する条件もほとんど存在しない。幸福なゾンビたちの王国。しかし、不幸にも未だ美しいものを求め続ける人間も稀ながら存在する。彼等、決して眠る事の出来ない人々はこのただ広いだけの虚しい砂漠の中に一輪の可憐な花が咲く瞬間を孤独と絶望のうちにひたすら待ち続けているのだ。

 

椋鳥(むくどり)の恋

醜い鳥
嫌われ者の鳥
天界からの追放者
サタンでさえも
その醜い風貌と鳴き声に
目と耳を塞ぎ顔をしかめる

日が昇ると
何処からともなく
集団で湧いてきて
白い糞を撒き散らし
美しい花を食べ尽くし
畑の作物を食い荒らしてしまう

時には
何百何千という軍勢をなし
街路樹や電線に群がって
大合唱を始める
それは歌などではない
ありとあらゆる汚い言葉
浅はかな欲望、侮蔑、憎しみ、
言い逃れ、不安、讒言、
罵詈雑言の嵐であり
便所の落書き
公開処刑場を取り巻く
愚劣な群衆の囁き
破廉恥な罪の告白であって
つまりは騒音である
そんな穢れた鳥たちに
黒い蠅や虱のように
たかれられている木々は
痒く不快で堪ったものではない
時折怒ったように
その枝先を揺らして
五月蠅い悪魔たちを振り払う
すると鋭い悲鳴を上げて
鳥たちは一斉に舞い上がり
街の空はすっかりと
黒く覆われてしまう
街行く女たちは皆足を止めて
日蝕のように不吉な暗い昼空に
怯えた視線を投げ掛けかけ
街行く子供たちは皆足を止めて
空に向かって小石や空き缶を投げ付け
街行く男たちは皆足を止めて
胸の中で奴らへの殲滅作戦を練っている

鳩の様に人に懐くこともなく
雀の様な可憐さもなく
鴉のような賢さもない
全く呪われている
罪深き鳥、椋鳥
頭に思い描くだけでも
汚らわしく
嫌な気持ちになる

しかし、私は見たのだ
冬も終わりかけた或る日
庭に生えている
年老いた梅の木に
一羽安らいでいる椋鳥を
つい最近まで
豊満に咲き誇っていた
白い梅の花
今ではその殆どが散って
年老いて汚れた花と
どす黒い枝ばかりが目立つばかり
花から花へと
忙しく飛び回っていためじろも
枝の上に仲良く並んで
団欒していた雀たちも
大空に響く大きな声で
花の美しさを湛えていたひよ鳥も
今では既に見る影がなかった
ただ一羽
相も変わらず
汚らしい椋鳥だけが
閉園した遊園地や
上映が終わった映画館に
居座ってだだをこねる
子供や老人の様に
寒々しい枝の上で
白い仮面の下
未だ恍惚の余韻が残る
小さな瞳を潤ませて
花が散ってしまうことに
独り抗議していた
ぎぃぎぃ ぎぃぎぃ
その物悲しく
調子の狂った笛のような
椋鳥の鳴き声は
日が沈み
辺りがすっかりと
暗闇に包まれる
その終わりまで
延々と途切れることを
まるで知らなかった

椋鳥よ
もう祭りは終わったのだ
早くその暗いねぐらへと帰るが良い
余韻の炎が
薄ら寒いお前の胸を
今晩だけは温めるだろう
それなのに
お前はまだ帰ろうとしない
寒さが段々と
お前の生命を
蝕んでいくだけなのに
愚かな鳥よ
もう勝手にするが良い
全く汚らわしく醜い
しかし美しさの何たるかを
誰よりも知ってる鳥よ