若さというもの

 若さとは形への意志、その強さであって言い換えるなら「私」が何者でもない(形がない)ことの深く痛切な自覚である。だから人はその形を手に入れたと「私」が何者かになったと自覚ないし誤解したときからその若さを失う。要するに老い始める。小林秀雄が老いてなお美しい樹というものについて語っていたが樹は老いることがないのだ。樹、彼は生きている限りその枝や幹を伸ばし続け、つまり成長している。その若々しい緑の葉を次々と手のように広げて何かを掴もうとしている。また春になると絢爛と花々を咲かせて何者かになろうとしている。彼は樹は永遠に認識しようとし形への意志を決して止めない。それは彼がその遥か頭上に輝いている不可能、太陽(花)と青い空(葉々)を追いかけているからだ。彼は彼がその太陽と青い空、本当の彼自身になるまで成長することをやめないのである。だから樹は老いない。永遠に若い。ソクラテス無知の知を発見した。それは「私」が何者でもないことを知ることである。そのソクラテスは死刑を目前とした獄中で琴の練習をしていた。七十歳で死んだ彼もまた永遠に若く青い樹だったのだ。