石(保存)の思想と炎(生命)の思想

 「若きパルク」こんなに長い詩を読んだのは初めてでまず何より圧倒されたのはその構成の力である。パリのノートルダム大聖堂を目の前にして感嘆した高村光太郎のように、クラシックの音楽を初めて耳にした明治の人々のように、また沖に浮かぶ巨大な黒船を目にした江戸の人々のように私はその構成力に圧倒された。しかしいつもそうではないだろうか?古くは中国及びインドより近代になってからは西洋より海の向こうからやってくる脅威且つ魅惑、それはいつも構成力、物を構成する力なのではないか?

 構成力或いは組織力、その力が生まれる背景には何よりもその対象とする物を長く永遠に持続させたいという保存への意志がある。物、それもただ単純な物ではなく認識の認識者である「私」の作り上げた物、或いは「私」に関係のある物、しかしそれも結局は「私」そのもの、「私」の霊魂を出来るだけ長く可能ならば永久に持続させ保存したいという意志である。砂漠。あらゆるものが砂塵と化し完全消滅ていく死の大砂漠でそのミイラと石の神殿へと託された願い、更には不変の石である観念、その観念的な神を信仰する宗教、永久保存の文明は誕生したのだ。やがてその保存の思想は西洋人に浸透しまた支配され、彼らはその保存の方法技術、構成力を手に入れ発展させていった。

 保存の思想。その眼差しが消えていく物の保存から初めから目に見えず現実には存在していない観念そのものの持続保存へと移っていくことは自然である。それは目に見えないものそのものをそのものの世界に於いて確固とした実在として感じられる物にすること。リアリティ。それは存在していないのにそこに確かに在ると感じさせる技術でありそれが小説の構成力でありクラシック音楽の構成力であり、文化文明の構成力である。しかしその技術もやがて音そのものを保存する技術や視覚そのものを保存する技術、更には人間そのものを保存する技術によって著しく衰退した。保存の思想である彼らの科学が見えないものを含むあらゆるものの半永久的持続保存を可能にし、それが見えないものそのもの自体の実在性物としての揺るぎなさを追求する技術、構成力組織力或いは形式様式への意志を衰退させてしまったのだ。だが、保存の思想自体は滅びていない。むしろそのミイラの思想はかつてなく隆盛を極め世界全体をあまねく支配している。もちろんそれはこの国も例外ではない。

 保存の思想、その保存への意志。言い換えるならそれは形、決して壊れることのない形への意志だと言える。そこから目に見えないものに対する形式及び様式への意志が芽生える。形の見えないものを実在する物として感じるためにはその形の見えないものをある形の中へはめ込まなければならない。こうして私が思考している観念も言葉という形になっているから私はそれらをより物として感じることが出来、だから私は思考することが出来る。その「私」の認識自体が形にすることが不可能な純粋認識を認識することで、「私」が何かを認識するということ自体が何かを形にしているということだ。

 日本人に持続保存への意志が稀薄であったことは彼らが文字を創らなかった事実だけを引いてみても明らかだろう。むしろ彼らはだらだらといつまでも形の残っているものを見苦しいと感じ忌み嫌った。彼らが崇拝していたのは儚く形消えていく純粋なもの、つまり生命そのもの、太陽の光炎そのものだった。散る花を愛し、燃えれば跡形もなく消える木の住居で彼ら日本人は暮らしていたのである。保存の思想とは対極にあるそんな彼らは物を持続させ保存する技術やそこから派生する観念の世界の構成力組織力とは無縁だった。文字であれ法制度であれ宗教であれその技術や観念の構成物いつも海の向こうからやって来た。今だってそうである。

 おそらくそれは縄文人の血なのだ。狩猟や採集によって生きる彼らは、収穫の未来を描きその未来に現在を従事させる、つまり労働によって未来のために現在を犠牲にして定められた時間の中を生きる認識の認識者「私」で構成された計画的人工的農耕民族に対して限りなく生命本来の生き方に近い純粋認識者たちだ。そんな彼らの血がやがて弥生人に混じり農耕に従事するようになっても色濃く残り、熱いその血が彼らに純粋認識の先に煌めきわたる黄金の楽園、美しい現実そのものの輝きを思い出させるのだ。しかし時代が下れば下るほど当然人々の間にその純粋認識にたち現れていた世界、太陽の輝きがわからなくなる。歳を取れば取るほど子供の頃に見ていた世界がわからなくなるように。そのわからなくなった世界、それを純粋認識に戻るのではなく、認識の認識者である「私」に認識出来る形で探っていこうという試みこそ我々が伝統と呼ぶそのものである。三島由紀夫は安部工房との対談で伝統の概念は中世に発生したと語っていた。つまりそれ以前はなかったのである。しかしそれも前記の通り当然で、子供時代に子供時代のことを思い出す必要はないのである。逆説的に言
えば遥か昔に失われた幻の日本を追い求めていく人々こそ日本人だと言えるのだ。

 芸術家の岡本太郎が追い掛けたのもその日本人、縄文の影だった。「沖縄文化論」沖縄、本土から海を隔てて文明開花、保存の思想の汚染から免れていたその島々にはかつての日本人の姿在り様が未だ色濃く残っていた。そこで太郎は島の人々が神聖と崇める神殿小さな石がぽつんと置いてあるだけの森「何にもなさ」を発見する。ピラミッドやアンコールワット、大都市に聳え立つ無数の摩天楼、巨大で揺るぎのない物としての永久保存を願い祈り建造されたそれら文明の神殿とは対極にある「何もない」神殿。意図的作為的、つまり人間の意志の息がかかっているものは唯一そこに石が置いてあるそれだけで、しかもそれはむしろ「何もない」こと人間の意図の無効性保存の無効性を際立たせるために置かれているようであり、その石は微かな吐息なのだ、真冬に口から漏れる真っ白な、しかし忽ち消えてしまう吐息、人間が初めて吐く言葉、吐息。その素朴さ、透明さ、儚さはあの万葉の歌へと繋がっていく。

 「芸術は爆発だ!」無目的に瞬間瞬間ただ自分の生命を爆発させ、その炎を目の前のキャンパスに叩きつけ続ける。バタイユの蕩尽にも通ずるその岡本太郎の芸術観はあらゆる持続と保存の思想とは対極にある態度と言えるがそれは何も彼特有の個性に基づいた稀有な例というわけではなく、縄文の日本人の引いては生命としての普遍的な在り方だったのだ。太郎は沖縄の島のあの「何もない」森でそれを発見、或いは再発見したのである。