自然、あらゆる生物は一見自由奔放に見えるが実は厳粛な絶対の戒律、その種の形を遵守している。薔薇が薔薇の、白鳥が白鳥の形を逸脱することは決してない。彼らの抱えるタナトス、物への意志はあらかじめ完了してしまっている。だから彼らはそのような死への意志に囚われることなく彼らの認識への意志、生への意志を何の足枷もなく力強く遂行している。エロスに満ち溢れている。いや、むしろ彼らのエロスとタナトスは渾然一体、認識への意志と物への意志は一つとなっている。生きることは形を追求することであり形を追求することは生きることなのだ。その結果として百花繚乱汲み尽くすことの出来ない美が彼ら燃える石の世界には溢れている。エロスとタナトス、そんな二つの意志があるように見えるのは死の観念に意識が曇った「私」の迷妄なのだろう。何も難しいことはない。ただあるべき形を宿命の形をその生き方でまたは作品で追求していけば良いのだ。そのときエロスとタナトス、生への意志と死への意志は一つに絡み合い共犯状態になり、もはや私を引き裂くものは何もなく、絶大なエネルギーの一つの意志へと私はなることが出来る。私は私を創造する。その創造の意志へと全てを委ねる。