神の実在を証明するために焼き殺された魔女たち。荘厳な絶対の光の塔の裏に差すどす黒い影。思考するほどにはっきりとしてくる非思考の世界。顔のない人魚の顔。
 認識、言葉の世界の住人である私が言葉によって認識を深めれば深めるほど私の認識は本当の現実、海から遠ざかる。文明の発達と洗練が人を海から遠ざける。文明、それは海からの距離なのだ。
 まるで海のよう青い空へと突き刺さる摩天楼の群れ。風に撫でられて波打つ長い髪やスカート。その中の柔らかい肉や優しい仕草。文明はその強大な力を手に入れた代償に海を喪失した。だから文明は海を求める。しかし本物の海へと近付くのは怖いからたとえば女を海に仕立て上げた。
 でも中にはその人工的な海、女の衣装を通り越して本物の海へたどり着いてしまう人間も居る。極度に人工的、精神そのものである彼らは造られた海で満足することが出来ない。ゴッホもそんな人間の一人だろう。彼は画架を抱えて無謀にもその本物の海へ旅立ってしまった。そしてその虚無の渦に飲み込まれた。本物の海、それは暗く冷たい不条理、氷の夜、死そのものである。
 或いは自分自身が女になることを通してあの海へ還ろうとする人間もいる(グラン・ブルー、イルカと海へ還ったジャック・マイヨール。禅。私の消滅。)。言葉と言葉の間にある裂け目へ下降落ちていくこと。詩。シュルレアリスム。無意識。近代の西洋人が発見したもの。それは彼らが逃避し続けてきた海、不条理、非言葉、私の死の世界。
私の中の男と女の太陽と海の精神と肉体の人間と人魚の生と死の別離と和解、そして融合、夕焼けの海。その海を見ることが芸術や宗教、或いは恋愛、あらゆる人間の意志欲望の根本動機ではないだろうか。何故ならその海こそ本物の海でもあり人工の海でもある、完全な海、精神と物質がひと繋ぎとなったパーフェクトワールドだから。