タナトス

 生物の中にある物への意志。タナトスと呼んでもいいだろう。タナトスが人間特有のものだと思われるのは人間がそのタナトスを認識するからであり他の如何なる生物にもタナトスは存在している。タナトスを持たずエロスしか持たないのなら、つまり物への死への意志がなく認識への生への意志しかないのならば生物は永遠に生き続けてしまうのだから。自殺という言葉はそのタナトスの結果を説明した言葉でしかない。つまり彼は「私」の意志で死んだのではなく彼という生物が抱えるタナトスによって死んだのであり、彼の「私」はそのタナトス、彼の中にある人形の人形への意志に殺害されたのである。「私」が「私」の意志で「私」を殺すことは出来ないのだ。「私」を殺すのは常に私の中にあるタナトス、或いはタナトスを抱えた人間や病気や状況、「私」の他者である。要するに自殺は不可能なのだ。

 私の中にタナトスを放置している限りタナトスはその意志によって私を内側から破壊し続ける。私の中の人形は私を人形にしようと日々暴れている。その意志を食い止めるにはむしろその人形の意志を汲み取ってエロスとタナトス、二人手を取り合って互いの瞳を私の外へ向けねばならない。つまりタナトス、彼の望む私の人形を私の外で創るのだ。私の中にある物の物への意志を私が代行するのである。人間の創造への意志の原動力は実はタナトス、物への死への意志だったのだ。それが不可能になったとき或いはその方法捌け口を知らないとき人はタナトスの衝動で他人や他の生き物を破壊して消費して、それさえも不可能なときは彼自身を破壊してしまう。こうして私が言葉を書き連ねることも、それは私の認識を何も認識しない言葉という反映物へ凝固させていくことであり物への意志の代行であるから私の中のタナトスは外へと放出されて、私の内部破壊も幾分かは軽減されているわけだ。

 今、何故、北を目指さねばならないのか、その理由がわかった。全てが凍り付く極北の断崖。彼がそこへ行きたがっているのだ。私の中の黒い人形が。私と彼との和解地点はそこにしかないのだ。