彼が死ぬ。彼が認識者から反映物となる。死体に対する畏怖恐怖の感情には死や暴力の認識それよりもこの純粋な反映物、神の意向を映し出す媒介物、鏡としての死体に対する認識の方がもっと前でもっと深く影響しているのではないだろうか。死体は認識を超えた反映、彼岸の神の瞳でこちらを見てくるのだ。ただの物ではなく自分と同じ人の形をしていることによって、またそれが認識の延長線上の反映であることによって、生物と物、認識と反映がぎりぎりの境界で重なり合う、見えないものが見え、聞こえぬものが聞こえ、認識し得ぬものが認識される状況を死体はつくりあげる。彼のことを愛していたとかそれ以前にその死体はあの世(認識出来ない世界)とこの世(認識の世界)の神聖なる架け橋なのだ。花や貝殻で飾らないでどうしよう。