シュルレアリスム(超現実主義)と人形というと私にはドイツの人形作家ハンス・ベルメールの人形が忽ちに思い出される。しかし人の形を模して造られた物を人形と呼称するならばベルメールの人形を単純に人形と言い表すことには少なからず違和感がある。何故ならその作品はどれもこの現実に存在するまた存在可能な人間の形をしていないからだ。まるでそれは死体安置所から幾つかその屍を盗み出し、無惨な肉塊へとばらばらに分解して更に腹部や臀部や乳房その各部を支離滅裂に滅茶苦茶に繋ぎ合わせて造り上げたような異形である。死体を継ぎ接ぎして造り上げたと言えばすぐにあのフランケンシュタインの怪物が脳裏に浮かぶはずだが、あの怪物の身体は各種の死体で構成されつつもそれはあくまで人の形をしているのであり、例えば彼の腕は腕という機能を果たす為にそのあるべき所へとちゃんと付けられているのである。しかしベルメールの人形はその錯乱的な配置構成によってまるでその肉体の機能性目的性が無化、人間、意志する者の肉体という意味概念そのものが綺麗に剥ぎ取られてしまっている。だからそれを見る者は不安や嫌悪に包まれて或いはエロティックな興奮に震えながらその言語化する以前の物そのものとしての肉体の深み、「或る裂け目」へと否が応でも吸い込まれていくのである。