ゴッホが弟テオにその発見を語った真の宗教「自らが花のように生きた日本人」言い換えるならそれは「私」自らが美しい形、花や人魚(艶やかな着物は花と人と魚の融合を思わせる)になろうという思想を生きた人々である。それはまた同時にゴッホ、彼が篤く信仰した純粋な本来のキリスト教であり、自らが永遠の形、十字架(認識と物が一つに溶け合った物)となることで人(認識の世界)と神(物の世界)ととの懸け橋となったイエスの面影(ゴッホはイエスを人類最初の芸術家と呼んだ)を浮世絵を通してかつての日本人たちに彼は見ていたのだろう。自然、生命本来の態度(純然たる形への意志)であるその姿に立ち返るため、画架や絵具箱を抱えて彼は黄金の小麦畑へ燦燦と旅立っていった。しかしそれはひどく危険なことなのだ。ひまわりを描く人間がそのひまわりになったとき、ひまわりを描く「私」は消滅してしまうのだから。一方、谷崎、彼は人魚を捕獲し人魚を描こうとしたが自らが人魚になろうとは決してしなかった。だからゴッホは死に谷崎は生きた。