裂けたぬいぐるみ

 私は一匹の猫を飼っている。茶色や黒色がごちゃまぜにしかし絶妙な統一感を以って配されているその毛並み、所謂サビ猫と言われている猫の雌だ。一応、名前のようなものが付けられているが私がその猫に向かってその名前のようなものを呼ぶ事はほとんど無い。猫だとさえ思わない。私は彼女に何の衣装も纏わせたくないのだ。そのとき私は何者でもないし、彼女は何者でもない。お互いが裸で、だからこそその猫と一緒にいる空間は自由で心地が良い。
 一体、人間ほど臆病で狭量な生き物が他に存在するだろうか。彼は考えられる限りのもの全てに言葉の衣装を纏わせないと不安で気が済まない。物事を観念で裁断するその行為が対象の持つ有機性、つまりは生命を奪うという事なのだと知る事なく或いは知りながら。それでいながらいつも彼は空を羽ばたく鳥に彼は憧れている。自分でその鳥の羽根をもぎ取ってしまいながら。
 

 なぜ子供はぬいぐるみを欲しがるのか。

 そもそもぬいぐるみとは何か。

 ぬいぐるみ、それは動物から全ての野性、暴力性を剥ぎ取ってしまった、つまりは観念の衣装に包まれた動物の死体である。結局の所、動物の擬人化というものは生きている動物を殺害し、ばらばらに解体、それを再び人間性という観念の糸で縫合して構成し直す行為なのであって、そのようにして出来上がる製品はこの地上の何よりも人間にとって安全で安心なものである。それは野蛮で残酷な動物界に対する人間精神の決定的勝利の証拠物であり記念品なのだ。未だほとんど裸で僅少な人間的自我しか持たぬ子供は自分の内側と外側にある膨大で圧倒的な自然というものへ莫大な不安と恐怖を抱えているのであり、人間精神の強固盤石な力の象徴であるぬいぐるみはそんな不安や恐怖を鎮めてくれる、謂わば子供にとっての御守りのようなものなのである。
 一方で子供はその僅かな自我の裏側に巨大な野性的自我、自然の本能そのものともいえる意識を抱えていて、その彼の方は人間の社会という極度に反自然的な現実、つまりは隙間なく言葉、観念の衣装に覆い尽くされている世界を前にして信じ難い程の空虚を感じている。それもそのはずで、つい最近まで彼は母の身体を通して大自然と一つに繋がっていたのだ。その全的体験の名残りが記憶に未だ色濃く刻まれている彼はまるで狭い檻の中のような人間的世界を脱出したいと無意志に欲望している。彼は獣のように広大な草原と森へ、魚のようにひとつの海へと還って行こうとする。しかし、それは当然大人たちの圧倒的な力によって未然に防がれ、そうして行き場を失った回帰への莫大なエネルギーは彼の爆発的な行動力を生み出す。それが子供の決して飽きる事無く遊ぶ力である。彼は遊びたいのではない。遊ばずにはいられないのだ。そんな風に野性への無意識的な憧憬を抱えた子供にとってぬいぐるみは懐かしきしかし永遠に失われてしまった世界の優しい面影そのもので、未だ訳の分からない人間の社会を生きていかねばならない子供にとってそれはやはり御守りである。
 以上の二つが子供にとってのぬいぐるみの持つ大まかな意味だろう。それは個々の性格の差異によってまた年齢の推移によってどちらかに偏ったり複雑に交錯したりする事もあるだろうが、基本的な構造はほとんど変化しないだろう。
 私も子供の頃、ぬいぐるみが好きだった。特に海の生き物のぬいぐるみが好きで、ベッドの上、枕元にはいつも鯨や鮫、蛸やマンボウの黒く円らな瞳をした可愛いぬいぐるみがたくさん置かれていた。
 しかし、そんなぬいぐるみたちは時間の経過とともに薄汚れ、所々千切れたり、酷いのは裂けて中身が露出してしまうものまで出てくる。そうすると私は尚の事それらのぬいぐるみを愛した。酷く劣化すればする程、そのぬいぐるみは私の枕元に近く置かれる資格を得るのだった。幼い私にとってそのぬいぐるみに出来た裂け目はこの窮屈で息苦しい人間社会の裂け目そのものであり、私に喪われてしまっためくるめく自然界への輝く入り口のように映っていたのである。更に私はそんなぬいぐるみたちよりも大人たちが汚らわしいと忌み嫌う生きた昆虫たちの方を尚の事愛していた。ウルトラマンを憎み、いつも彼に虐待され殺される怪獣たちに同情して涙を流していた。私は人間性、精神の力の全てを憎む、小さな野性そのものだった。
 しかし或る日、そんなぬいぐるみたちは突然私のベッドから皆姿を消す。古くなったぬいぐるみばかりを持っている私を憐れんで父が全部捨ててしまった。鯨や鮫、蛸やマンボウ、全員何の跡形もなく居なくなってしまった。
 酷く暑く長い夏の日の午後だった。私は空白そのものと化したベッドのシーツの上に座り込んで、ごみ収集車の鉄の顎に圧し潰され、紙屑たちと一緒に燃やされていくぬいぐるみたちの姿を想像して涙を流した。そんな部屋の窓からは遠くにごみ集積場の真っ白な煙突が見えて、その先端からは汚らしい灰色の煙が眩しい程青い空の中へと残酷なくらいゆっくり流れているのだった。
 そのとき私は何を失ったのだろう。ぬいぐるみではない。ぬいぐるみに出来た裂け目を失ったのだ。草原や海、自然界に対する一つの入り口を失ったのだ。私が本の世界(表紙と裏表紙の間に開かれた不思議不思議な或る裂け目)に対して夢中になり始めたのはこのときからである。