奇術師の白いハンカチ

 夜が明ける少し前だった。濃い霧は奇術師が振りかざした白いハンカチのように、眠る街を綺麗に消し去っていた。見る影もなく消された建物の中にはこの街で空に一番近く聳える白い煙突塔も含まれていた。

 毎夜、白い煙突塔の腰と胸と頭頂部には赤い星のような光が灯されていた。塔の腰の両端と胸の中心に一つある赤い光は常時点灯し、頭頂部の両端の赤い光だけは一定の間隔で点滅して夜間飛行者たちが塔に衝突する事故を回避していた。塔の本体は夜の帳の裏に半ば隠れてしまうのだが赤い光が形作る輪郭のおかげで月のない夜でも見る者は白い煙突塔の存在をありありと感じ取ることが出来た。

 連夜、闇空に浮かぶ赤い星座を駅の片隅にある窓から眺めて夜明けの電車を待つ数分間が仕事に行く前の憂鬱を和らげる私の儀式のようなものであった。しかし奇術師の白いハンカチは赤い星々を夜に隠してしまった。

 それでも私は駅の片隅から赤い星々を探していたのだが、当然赤い星座が夜空に浮かぶことはなく、ただの黒い鏡と化した窓の硝子には朧げな蒼白い自分の顔が浮かぶばかりであった。