火事のような夕焼けに
黒い影となった遠くの山々
荷馬車を引く痩せた驢馬が通り過ぎて
木枯らしだけが残った


そんな枯野で独り星々を待つ
深く土の中で眠る死者達と共に


冷えてゆく身体
青ざめた花が歌う
掠れた声の鎮魂歌
あらゆる感情
あらゆる思い出
白い吐息を散らして
ガラスの鳥が飛び立てば


あっという間に
天と地の炎は凍り付いて
きらきらと氷の破片が煌めく
藍色の垂れ幕に全てが覆われた
瞼を閉じたときに感じる
幾千光年彼方からのまなざし
しかしわたしはもう居ない


小さな船が流れ出した
何処までも広がる黒い海に
誰も乗っていない
小さな船が流れ出した

 

 

 ヴィンセントと書かれた空色のバケツのような鉢植え。たくさんの向日葵が挿さっている。まるでそのヴィンセントという鉢植えの中に金色の朝日が溢れ始めてそこから零れ落ちた光の塊一つ一つが大輪の向日葵の花になっているような。しかしこの向日葵たちはどうも落ち着かない。ちょうど目玉のような花芯をきょろきょろとみんなばらばらの方向へ向けて、それはまるで長過ぎる夢から目覚めたばかりの人間、自分自身が何者かさえも忘れてしまった人間がここは何処なのだろう、わたしは誰なのだろうと辺りを見回しているようにも見える。黄色い花びらをたてがみのように逆立て生き生きと希望に満ち溢れた向日葵もあるし中にはもう花びらを散らし今枯れようとする向日葵もある。ヴィンセントから分裂したヴィンセントたち。わたしの起源を探すわたしたち。ああ、眩暈がするようだ。自分の顔を確かめようと覗き込んだ鏡が万華鏡だったら。

花から花へと
青い羽根の蝶の群れが
黄金の鱗粉を振り撒いて
遥か地平線の山々が見渡せる
広々とした草原の上を舞っている
にぎやかな白い羊たちは
みんなあの空の上へ行ってしまった
深々と草々の波に埋まって
仰向けに横たわるわたしは
赤い傷だらけの両腕を平らに伸ばして
死体のように息を吐きながら
痛みに燃えるその花びらに
あの青い蝶たちがとまるときを
凍える神の口づけをひとり待っている

生け贄の人魚

 

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 男は男らしく、女は女らしく。キリスト教以降の西洋の文明はそうして完全に人を精神と感性に人間と人魚に見る人と見られる人、二つの対極に分離させることによって石そのもののような強力で揺るぎのない精神、観念の世界、科学精神、合理的自我「私」を確立しその圧倒的な精神の力で世界を征服した。だからそんな彼らにとって男の中にある感性を人魚を女性性を自覚し自ら自身が美しい形であろうとする男の同性愛者はその精神の基盤を揺るがす悪でありまた女がその中に精神を人間を男性性を自覚し精神者であろうとすることもまた忌まわしいことだった。冷たい月の石で出来た白い巨塔の下にはあらゆる人間のその片側の抑圧と犠牲が埋められているのだ。我々はその血まみれの精神の莫大な遺産によってかつてなく物質的豊かに生活している。しかしながらそもそも西洋人たち彼らの信仰したキリスト教、そのイエスの姿の何処にも純化された精神、男らしさなどないのだ。つまり彼ら西洋人はイエスその人を信仰したのではなくあの長い髪の柔和な優しい何処までも受け身である受難の人、男の中にある女、その人魚を犠牲にする場、十字架こそを信仰したのだ。だからカタリ派は異端として殲滅され、ヒュパティアは牡蠣の殻でずたずたにされ、ジャンヌ・ダルクは魔女として火炙りとなり、オスカー・ワイルドは投獄され、ゴッホはまるで理解されず、シモーヌ・ヴェイユも理解されず横死しなければならなかった。

 異性間の恋愛の思想もこの精神(観念)者と感性(肉体)者、男と女の完全な分離分断によって形成される。男と女が一つに結び付くことによって互いにそれぞれ欠落した部分を補い合い一つの完全な形になる(結婚)。しかしその二者の分裂もそれに伴って発生する結合への欲求意志も人間の生物的自然的本来の性質ではなく大部分は人工的に創造偽造されたものなのだ。人間は男として生まれるのでもなく女として生まれるのでもなく人工的な社会に於いて男にされまた女にされるのである(しかしその男女の性の分離拡張の結果として最初から完全に女性性の欠落した男、男性性の欠落した女も中には存在する)。

 明治の文明開花とともにこの日本にもそんな西洋の精神が流れ込んできた。そのときその精神と共に精神と分離され、拡大強調された肉体、人魚のような女の姿もこの国へと流れ込んできたのだ。極度に人工的な精神者である谷崎潤一郎はその生け贄の人魚に恋をした。

 人工世界の行き着く果てにデカダンス、腐敗と退廃の香り芳しいその甘美な果実は実る。退屈な楽園に飽き果て膿んだ天使たちが白い雲と雲の青い裂け目に映し出す地獄の夢。重篤な倦怠に沈んだ瞳で彼ら精神者たちはその見つめる青い泉が深紅の色に染まる落陽その時を待っている。愚かな天使は堪えることが出来ずその裂け目から大地へと落下する。ほら、もうすぐ雪が降るよ。しかし天使は楽園に居るから天使なんだ。地上での彼らは堕天使、或いは魔王と呼ばれる。雪は狼に化身してその真っ白な毛を返り血に染める。そうでなくてはあっという間に黒い土へ溶けていくだけだ。だから天使よ、楽園に帰れ。その翼が溶けないうちにあの泉の前へと帰れ。この大地は君が思い描いたような君にとって愉しい所なんかではない。悲しいけど君の現実は楽園でも大地でもなく白い雲と雲の裂け目、あの泉の上にしかないんだ。

 

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 精神の血に対する嗜好。精神が精神である限り精神は血を求め続ける。あの黒いマントを羽織った吸血鬼と同じように絶えず新鮮な生き血を摂取していなければ精神の持ち主は干からびて息絶えてしまう。精神は「私」はその誕生時から悪(罪)を内包しているのだ。真っ赤に染められた人の歴史そののものが何よりもその十字架を濃厚に証言している。国枝史郎の「神州纐纈城」はそんな精神が背負う禍々しい血の呪縛、宿命を日本の戦国時代を舞台に描き出した伝奇小説である(あの三島由紀夫が傑作と激賞していたので読んだ。彼三島も血に取り憑かれた精神者の一人だろう)。

 幼少時に失踪した両親と叔父を探して魑魅魍魎跋扈する魔界のような富士の麓をさまよう侍の若者。彼をその異界へと導く深紅の布。それこそ生きた人間から絞り取った血を染めて出来上がる纐纈布であり、恐ろしくだが同時に見る者の心を深く魅了し高値で取り引きされるその禁忌の布を日夜大量に生産する城こそ、深い霧に包まれた水城、纐纈城だった。

 自らが暗黒の死そのものと化して人を殺害しその大量の血で紅い布を作らせ続ける仮面を被った纐纈城の主はまさに吸血鬼で悪で魂を喪失し精神に蝕まれた人間の実相そのものである。片や、その同じ富士の麓にはあらゆる殺生、血への衝動を固く戒めて慈愛をもって平和に生きていこうとする新興の宗教団体富士教団があり、その教祖(彼は邪悪なあの仮面の城主の弟なのだが)はイエス・キリストを彷彿とさせる聖人、魂の人そのものである。そんな邪悪な兄と聖なる弟は当然熾烈に争いを繰り広げることになる。そしてそれはこの作者国枝自身の葛藤だったのだろう。吸血鬼と十字架、悪と善、精神と魂、主人公はそのどちらでもなく、その対極の間を揺れ動くように出口の見えない富士の暗い樹海を彷徨う一人の若者なのだ。