f:id:tobi-zekkai:20210108000124j:plain

 精神の血に対する嗜好。精神が精神である限り精神は血を求め続ける。あの黒いマントを羽織った吸血鬼と同じように絶えず新鮮な生き血を摂取していなければ精神の持ち主は干からびて息絶えてしまう。精神は「私」はその誕生時から悪(罪)を内包しているのだ。真っ赤に染められた人の歴史そののものが何よりもその十字架を濃厚に証言している。国枝史郎の「神州纐纈城」はそんな精神が背負う禍々しい血の呪縛、宿命を日本の戦国時代を舞台に描き出した伝奇小説である(あの三島由紀夫が傑作と激賞していたので読んだ。彼三島も血に取り憑かれた精神者の一人だろう)。

 幼少時に失踪した両親と叔父を探して魑魅魍魎跋扈する魔界のような富士の麓をさまよう侍の若者。彼をその異界へと導く深紅の布。それこそ生きた人間から絞り取った血を染めて出来上がる纐纈布であり、恐ろしくだが同時に見る者の心を深く魅了し高値で取り引きされるその禁忌の布を日夜大量に生産する城こそ、深い霧に包まれた水城、纐纈城だった。

 自らが暗黒の死そのものと化して人を殺害しその大量の血で紅い布を作らせ続ける仮面を被った纐纈城の主はまさに吸血鬼で悪で魂を喪失し精神に蝕まれた人間の実相そのものである。片や、その同じ富士の麓にはあらゆる殺生、血への衝動を固く戒めて慈愛をもって平和に生きていこうとする新興の宗教団体富士教団があり、その教祖(彼は邪悪なあの仮面の城主の弟なのだが)はイエス・キリストを彷彿とさせる聖人、魂の人そのものである。そんな邪悪な兄と聖なる弟は当然熾烈に争いを繰り広げることになる。そしてそれはこの作者国枝自身の葛藤だったのだろう。吸血鬼と十字架、悪と善、精神と魂、主人公はそのどちらでもなく、その対極の間を揺れ動くように出口の見えない富士の暗い樹海を彷徨う一人の若者なのだ。