揺り籠

 揺り籠、ただの籠ではだめだ、赤ちゃんは落ち着かない。彼は泣いてしまう。揺れて、左に大きく揺れたらその同じだけ右に大きく揺れて、右に小さく揺れたらその同じだけ左に小さく揺れて、規則的な幅で揺れていなくては赤ちゃんは落ち着かない。赤ちゃんが求めているのは現実感だ。現実感は繰り返される揺れの反復によって強化される。右に揺れる、右の現実に意識が滞在する。同時に左の現実は失われる。左に揺れる。失っていた左の現実が戻りそこに滞在する。同時にさっきまで滞在していた右の現実が失われる。もしその籠が揺れていなければ赤ちゃんは左や右の現実感を失うことはないが、しかしその現実感を獲得することも出来ない。揺れによって引き起こされる空間の不在が現実感をつくりあげるのだ。更にたとえば左の現実感を失っているとき、当然彼は右の現実感に満たされているので、彼は失った左の苦しみにほとんど気が付くことがない。それは隠蔽された現実感の喪失と獲得された現実感の繰り返し繰り返し、永遠の反復、母親の心臓の鼓動、その模倣である。だから心地良い。だからブランコはたのしい。だから私は電車のなかで眠ってしまう。揺り籠、それは仕掛けられた罠の本質であり根源なのだ。あらゆる欲望、願いの裏にはあの小さな揺り籠が揺れている。