現実感というもの

 現実感を覚える世界と本当の現実はまるで違うものだ。現実感などはいい加減なもので、結局その強さは対象となる世界にどれだけの時間彼の意識が滞在したかによって決まる。意識の滞在時間が長いほどその場所空間或いはひとりの人物が彼に与える現実感は強く大きくなる。いわゆる我々が一般に現実と呼んでいるところのこの空間もただそこで過ごしている時間が非常に長いから現実感が強いというだけでそれは数多ある想像の世界の一種類でしかない。一日20時間眠っているとき以外はゲームの仮想空間に意識が滞在し、その毎日を物心ついたときから繰り返している20歳の青年にとってそのゲームの仮想空間はほぼ完全に現実と言っても良いほどで、彼はそこにこそ現実感を感じ、反対に我々が一般に現実と呼んでいるところの世界のことは非現実的に、夢のように感じられるだろう。恋人にふられて悲しいのもその背景には彼や彼女と過ごした時間があるからで、その意識の滞在時間の長さが彼や彼女を現実そのものように感じさせ、だからその人間を失ったとき現実そのものを喪失したかのような気持ちになって悲しいのだ。そんな失恋も大抵は時間が解決してくれる。何故なら彼や彼女を失ってもどこかの空間で生きていくのだから、当然彼や彼女の居ないその何処かの空間でまた意識の滞在時間が少しずつ増え、そうすることによって失われた現実感が再び回復されていくからである。つまり結局、その彼や彼女は本当の現実でもなんでもなかったのだ。でももし仮にだ。たった一目見て、それきりで二度と会わなかった人が居たとして、そのことに彼が耐え難い現実の喪失を感じたとしたら?僅かの時間もそこに意識が滞在してはいないのにその人が自分の視界から消えてしまったことに彼が言い知れぬほどの悲しみを感じたとしたら?きっと一瞬のその人こそ、想像の現実ではないまぎれもなく本当の現実なのだ。きっとそれこそ美しいものなのだ。きっとそれこそ詩そのものなのだ。意識と時間の外側、永遠で彼はその美しい詩、本当の現実にかつて会ったのである。