谷崎潤一郎「人魚の嘆き」

 小ぶりながらもぎっしりと重たい宝石箱のようにこの物語には作者の尽きせぬ神秘への憧れが詰め込まれている。神秘は人魚の形をしている。谷崎はサファイアラピスラズリやエメラルド、彼の持ち得る限りの言葉の宝石を豪奢に放出してそのめくるめく海の幻獣、美しくも妖しい人魚のオブジェを造り上げた。しかしそこに人がオブジェという言葉から心に思い描きがちな死物の冷たさはない。艶めかしいその息遣いが言葉と言葉の間から泡となって漂ってくるようである。そう、このオブジェは優れた芸術作品が皆そうであるように凍りながら生きているのだ。夢中の少年が川で魚を生け捕りにするようにこの作者は人魚を生け捕りにした。

その瞳は、ガラス張りの器に盛られた清冽な水を透して、あたかも燐のように青く大きく輝いています。どうかすると、眼球全体が、水中に水の凝固した結晶体かと疑われるほど、淡藍色に澄み切っていながら、底の方には甘い涼しい潤いを含んで、深い深い魂の奥から、絶えず「永遠」を視詰めているような、崇厳な光を潜ませています。其処には人間のいかなる瞳よりも、幽玄にして杳遠な暈影が漂い、朗麗にして哀切な曜映がきらめいています。

               ーー谷崎潤一郎「人魚の嘆き」よりーー