七月十二日の日記「小説家の自殺」

 小説を書くという事は言うまでもなく唯一人の孤独な作業である。彼はたった一人で太陽を造り、星々の運行を設定して、地球を誕生させて、そこに木を植え草を植え、動物や昆虫を繁殖させ、人類を誕生させ、村を造り街を造り、そこに繁多な登場人物たちを置かねばならない。
 作家は主人公の貧しい若者を演じるのと同時に彼が恋焦がれる貴族の令嬢を演じなければならないし、二人の間を引き裂く彼女の冷厳な父親をも演じなければならない。故に作家は多重人格者でなければならない。それも或る一つの人格が現れると他の全ての人格が消えるという一般的な多重人格者ではなくて、今この瞬間に何十もの人格が同時に現出する同時並行的多重人格者でなければならない。それと同時に彼は雨や嵐、自然を演じなければならないし、時そのものさえも演じなければならない。究極の自作自演行為。凡そ人間業では成し遂げられそうもない。故に彼は超人とならねばならない。その為には仮面が必要だ。仮面を被る為には実生活上の自分という人間は殺害せねばならない。
 一本の木がある。その木自体は何も語らない、何も歌わない、永遠の穏やかな沈黙に包まれている。しかしながらその一本の木には沢山の鳥たちが集まり、賑やかで愉し気な合唱を響かせるだろう。私にはそれが一つの大きな声のように一つの美しい歌のように聞こえる。もし仮にその木が自己主張を始めたら鳥たちは決してやって来ず、あの大きな声もあの美しい歌も響き渡らせる事は出来ないだろう。一本の木は自分の声を押し殺す事でその自分の声とは比較にならない程豊饒な一つの声を手に入れたのだ。小説を書く作家もそうでなければならない。偉大な作品の陰には皆一人の素朴な個人の悲壮な自殺が隠れているのだから。