罠から抜ける

 幼い頃、私はおっとりした子供で、今よりも遥かにゆっくりとしていて、だから私は優雅で上品で偉大で感受性豊かだった。しかしこの社会のめまぐるしさと長い時間付き合い、消費の快楽に骨の髄まで汚染され、私は慌ただしく落ち着きのない神経質な人間になってしまった。一枚の絵から、一個の石から、一つの風景から、一人の人間から果てしのない充実を感じ取る力を失ってしまった。神経質であることと感受性豊かなことはまるで反対なのだ。かつての天使はその澄んだ瞳や耳を失い、つまりは天の上から落下して現実を感じ取れなくなってしまった。私も他の人と変わらずこの社会に張られた巧妙な抜け出すことの困難な泥沼の罠に嵌まり込んでしまった。しかし私は気が付いた。罠が罠であることにである。だから私はめまぐるしいものを打ち捨て、消費の欲望を打ち捨て、永久不動の決して変わらず動かないもの、つまり消費出来ないものだけを見続けようと思う。繰り返し繰り返し。新しい絵を求めることなくただ一枚の絵をひたすら見続けようと思う。かつての幼い私の瞳に美しく燦然と光り輝いていたあの時間の外側、永遠の庭へと還るのだ。