それをやりたいからやる。その第一回目は純粋行為だと言える。しかし、二回目以降は?それをやったら楽しい、快楽が得られる、だからやる、意味が発生してしまう。彼は未来に発生する利益のために奉仕し、だから未来が発生し、時間が生まれ、彼はそのなかに閉じ込められてしまう。もうそれは純粋行為ではない。よって彼は今を生きることが出来なくなる。それが純粋行為であり続ける、完全な遊戯であり続けるためにはそれはやはり毎日の勤行のようにやりたくてもやりたくなくてもとにかく継続してやり続けるという態度が必要である。やるためにやる。誰の為でもなく、自分の為でもなく、何の為でもなく。完全に見返りを求めない行為。それは無へと捧げられた祈りだ。