まだ数えるほどしか言葉を知らない子供は認識の認識者「私」によって認識出来る領域がごく僅かで、だから彼は膨大な夜の暗黒に包まれている。怪奇なしかし神秘に溢れた中世の世界。今の意識、この「私」が誕生したのも実はその中世、子供時代の始まりなのだ。生命体としての誕生、それから物心つくまでの幼年期、神話時代にこの「私」は居なかった。その楽園にはただ今「私」の中に眠り込む「私の中の他者」永遠の純粋認識者、彼女が居ただけである。しかしある日いつものように泉の前を通り過ぎようとした彼女に「私」が映り込む。忽ち彼女は深く眠り込み、冷たい鏡の中で「私」が目覚める。

 そうだ。認識の認識者である「私」が存在しているのは鏡の中の世界である。「私」だけではない。言葉を知る者は皆この鏡の中に存在している。だから忘れる。自分たちが鏡の中に居ることを忘れる。鏡の中を現実だと思い込んでいる。しかし今このときも「私の中の他者」彼女は楽園の泉の前に眠り込んでいるだけでそこに紛れもなく存在しているのだ。 大抵どんな呼び掛けも彼女の深い眠りを妨げはしない。でも時折、歓喜と見紛う苦痛や苦痛と見紛う歓喜が「私」を揺らしその揺れはまた更に泉全体を揺らし鏡が割れる。すると彼女は目覚める。同時に「私」が死にも似た深い眠りへと落ちる。「私」は楽園には存在出来ない。彼女は鏡の中には存在出来ない。「私」であり彼女でもある存在、詩だけが二つの世界で同時に存在出来る。