何故、北を目指すのか。何もない、あらゆる生命が凍り付き、時間もないその場所を。冬に咲く花たちはきっとその理由を知っている。死、死すらないその死の世界。それは認識に汚されていない純粋な反射の世界。水が凍り或いは雪となり形づくられる美しいアラベスク。結晶の世界。北には遥か北にはその結晶の世界、純粋な現実世界の反射反映の目に見える世界があるのだ。凍る。「私」の認識が凍る。「私」の肉体の認識が凍る。「精神」でない「肉体」でない純粋な物質、純粋な現象、ただの水としての私。「私」が凍り「私の肉体」が凍り「私の水」が凍るとき、その曇りなき氷、現実世界を映し出す鏡が形成される。 美しい結晶、その神聖な華を映し出すその鏡。冬に咲く花たちはあの寒椿や梅の花はその華を知っているのだ。認識してその結果あのような芸術作品を作り出すのだ。いつも北に顔を向けて。いつも凍える死を見つめ続けて。真理は死の側にあるとヴェイユは言った。真理は神はいつもあの北の果てに浮かんでいるのだ。冬に咲く花たちはきっとそのことを知っている。