三島由紀夫の「仮面の告白」には強烈なインパクトで記憶に残る印象的な場面が少なくはないが、なかでも今特に思い出すのは主人公が子供の頃、クレオパトラに扮装し家族の者を絶句させるところである。極度に人工的な人間、形のない幽霊のような、つまり観念的精神的な人間ほどそのような誘惑に駆られるのではないか?何故なら女性の衣装や化粧の形の美は只今即席的に出来上がったものではなくその民族なり集団が悠久の年月をかけて追及してきた、植物たちにとっての花というものと同じように重厚な蓄積の上に成り立っているのであり、どんなに頑丈堅固な信仰の巨塔よりも盤石な受け継がれてきた今息をしている美の形、そんなものがまるで形のない「私」の瞳にとって眩しく魅力的に映らないほうが不思議だからである。ただそのきらきらとした衣装を身に纏い艶やかな化粧を顔に施すだけで「私」念願の形が手に入るのだ。女の子はその形に恋をしてその形を身に付ける。男の子はその形を身に付けた女の子に恋をする。ならば直接、形に恋をする男の子が存在しても不思議ではない。つまり自分自身が美しいクレオパトラになりたいと願う男の子が居ても何らおかしくはないのだ。