日記08/19『青について』

 青、それは一体何だろう。

 遠くから見ると青色で近付くと段々薄くなり手の平で掬うと透明だ。遠くから眺める透明の色、それが青だ。青色は距離。不可能との距離の色。青い薔薇は不可能を表す。見えないものが見える。近くからでは見えない。遠くからだと見える。

 空は青い。しかしその中身は透明だ。鳥はその透明のなかを泳ぐ。何にもない虚空を泳ぐ。だが、その頭上や視界の彼方に青はまだある。その青を追い掛けて鳥は空を泳ぐ。青い薔薇を追い掛けている。神様が植えた一輪の巨大な薔薇の花を。

 青、それは不可能な距離。同時にそれは永遠の長さ。青は永遠なのだ。私は永遠を求めている?それは時間ではない。空間の永遠的な広がり。私は閉じ込められている。街は海から遥かに遠く、空は段々と上に遠ざかっていく。階段は何処だ?空へと青へと駆け上がる階段。それはあの灰色の高層ビルのなかにはない。螺旋の階段が必要だ。くるくると廻るうちに私はあの空の青へと到達する。それは青い薔薇のように。

 青、それは透明だ。透明なものと不透明なものの距離。私は青くない。私は不透明だから。遠くから見た私はきっと蟻のように黒いだろう。私は黒。不透明な色。でも私の意識は?きっと透明だ。遠くから見れば私の意識は青いのだろう。しかしその青さは不透明な黒い肉体によって覆い隠されて見えない。身体はある。だから私はこの地上に縛り付けられている。もし仮に肉体、その黒く重たい衣装を剥がされたとしたら、私は青そのものとなり、その透明な色は空の透明へと還っていくだろう。青、それは風の色だ。つまり私の意識は風なのだ。私は風を探している。何故なら私が風だから。風の消えた街に風を探している。青を探している。透明を探している。色から解き放たれた純粋な私そのものを探している。私の鏡には風が映っている。青い世界そのものが映っている。さあ、旅に出よう。その青い世界へ。