人が旅に出るのは繰り返される日常の「意味」の堆積そのヴェールによって見失ってしまった「表面」を取り戻すためだ。知らない国や知らない場所は旅人の彼にとっては当然未知で、未知に接している限り彼はまだ「意味」へと変換される前の人や物や世界のありのままの「表面」を見ることが出来る。それは認識の認識者「私」が形成される前の純粋認識者である彼女が見ていた概念化、意味化、言葉化する以前の純粋世界の現実、つまりは彼の純粋な「生」を取り戻そうという奪還及び帰還への試みである。小説や映画もそんな旅の一種だと言えるだろう。舞台が異国でなくてもロードムービーでなくても良い小説や映画は旅の感覚に溢れている。