純粋認識。しかしたとえば植物は光を認識する。ということは光と非光を識別しているということであり、そのことから彼らも或る観点を通して世界を認識しているということがわかる。同時にその観点を持つ者が認識者だと言うことが出来る。その観点を持たない者はあらゆるもの全てを認識しだから何も認識しない。だから認識とはそもそも不完全であり、不完全だからこそ認識で、その不完全な認識を持つ主体が認識者であり生命である。一方、石などの無機物は観点を持たずあらゆるもの全てを認識している。だから何も認識していない。もし石の認識を認識することが出来たなら生命はこの世界の現実を完全に認識するだろう。しかしそれは不可能だ。不可能な認識。生命は生きている限りその認識に達することが出来ない。ただ死だけがその認識に達する。しかし死ねば当然何も認識することが出来ない。ただ生命は死んでいく彼らの仲間を認識することによって不可能な認識に達しゆく仲間を認識する。死は彼方の現実と此方の幻影を繋ぐ架け橋である。切腹の儀式。十字架。