生物と無生物を分け隔てているもの、それは認識である。ヒトや動物、生命を持ったものたちは視覚や聴覚、あらゆる器官によって何かを認識している。どんなに小さな微生物でもそれは変わらない。彼は何かを認識している。認識しているものが生物だ。何も認識しないものが無生物。しかし機械、電気仕掛けのロボットも同じように何かを認識している。彼らは生物か?そうとは言えない。言い直そう。生物とは認識への欲求を持ったものである。彼らは自らの現実に対する無認識、生の欠落を認識しているが故に何かを見、聞き、嗅ぎ、触り、動き、感じようとし、つまり生きようとする。認識し生きようとするものこそ生物である。彼らは自らの生命を燃やし、その炎光によって何かを見、聞き、嗅ぎ、触り、動き、感じようとする。それは無限に果てしなく拡がり続けていく火炎である。生物とは火炎である。生きることは燃えることである。何の理由も意味も根拠もいらない。そんなものは邪魔だ。燃えろ。燃え続けよ。燃えて、燃え続けること以上に神聖な意味はないのだ。生きろ。生き続けよ。認識しろ。認識し続けよ。舞い始めたあの雪虫たちのように。咲き始めたあの椿の花たちのように。今を生きろ。今を生き続けよ。もっと激しく。もっと遠くへ。